規廻し(ぶんまわし)です。規とは要するにコンパスです。
製図などに使用する物の大型版です。
樽太鼓(たるたいこ)、漬物樽、味噌樽は勿論、酒樽などに塡める
ソコとフタを丸く加工する際に見当を付けておく簡単な道具です。
昔のまま、木製の規廻しを使うと微妙な誤差が出ますので、
今では主に写真の上に乗っている金属製の物も使います。
誤差が出ますと銑(せん)という刃物を使い修正すると同時に
断面を滑らかに仕上げます。銑廻しと言います。
こちらは「引き回し」の作業です。大きな帯鋸(のこ)で印を付けた通りに丸くして行きます。
印の線の中心を切るか,外側を切るか、内側を切るかで直径は当然変ってしまいます。
そして、大切な点は真円ではなく、ほんの少し楕円に廻し切る事です。
写真で見ると右端と左上の部分を木頭(きがしら)と言うのですが、
この部分を他より少し大きく取って楕円にします。
タガを締める事により木目が縮まり、酒樽(たる)になった時に真円になる訳です。
逆に真円のソコやフタで樽(たる)を作ると逆の楕円型に仕上がってしまいます。
良い樽(たる)とは言えません。
3月は6日(金曜日)と7日(土曜日)に京都店を開きます。
午後1時から夕方6時まで。
時節柄、味噌樽を中心に販売する予定です。
京都市左京区田中里の前町49の2
洋菓子店 リモールの隣です。
連絡は090−5012−3755まで
1961年11月、当時のアメリカ大統領J.F.ケネディ夫妻はホワイトハウスに
85歳のパブロ・カザルスを招きました。
ピアノはミエチスラフ・ホルショフスキー、ヴァイオリンはアレクサンダー・シュナイダーという大御所揃い。
数曲の演奏のあと最後にカザルスは故郷カタルーニャの平和を願って古民謡「鳥の歌」を演奏し喝采を浴びました。
カタルーニャの鳥はPEACE、PEACE、PEACEと啼くと言われています。
永らく入手困難だった、この名盤CDも今は容易に購入可能です。
この演奏会の2年後、1963年にケネディは暗殺されました。
約50年後の2012年2月、アメリカ国旗を象徴した「RED WHITE &BLUES」なるコンサートを現大統領バラク オバマが、同じホワイトハウスで催しています。
ミックジャガー、ジェフベック、バディガイ、BBキングらを招き、
コンサートの最後に「Sweet Home Chicago」を演奏、
バディガイの誘いにミックからマイクを受取り自身も歌を披露。
隔世の感があります。同じEAST ROOMという部屋とは思えません。
3側拵え
こうして出来上がった杉材は竹のタガの中に丸く梱包していたので「樽丸」と呼びます。一丸で33尺、並べると約10mで、一丸で5^6個の樽が出来ます。
先ず、銑と言う刃物を使って、木の厚みを外側と内側から揃えます。
その後、この正直台という銑をはめ込んだ危険な台感で側面を削ります。「正直押し」といいます。判りにくいのですが,真ん中を僅かに膨らませます。
正直に押さないと洩れるので、「正直」と言います。
これは洋樽をバラした物ですが、こんな風になっています。
こうすることによって、洩れが出にくい上に少ない材料で樽を作る事が出来る訳です。この下準備が非常に大事なのです。
今日,こうして菊正宗の前掛けをしていますが、これは宣伝をしている訳ではなく、削る時に使う「腹当て」と言う道具を挟むための必需品なのです。
4樽を立てる
底用と蓋用のふたつの仮輪をしっかり持って、拵えた「榑(くれ)」を15〜16枚並べます。途中5〜6枚の『輻(や)』を均一にいれます。
左手でしっかり仮輪を持って前に倒しながら,組むので作業台(見世板と言う)は少し前に傾いています。榑の内径と底や蓋の外形が一致するように組み合わせます。パズルが終わったら逆さまに向けます。
底に鉄仮輪をいれて固定します。全体を上下して歪みをなくします.小槌で榑の段差を揃えます。
口輪と言う蓋を支えるタガを入れます。大槌と締め木でタガを下まで叩きます。
「真ちゅう」と言う底のゲージを填めて、替わりに鉄仮輪を抜きます。
これで樽の形が整いました。少し真ん中が膨らんでいるのがわかるでしょうか。
5内外を削る
底が入る部分を「つっこぼり」という丸鉋を使い段差をなくします。
底を込めます。バットの様な叩き棒で押し込み、立て棒と言うゲージで深さを測ると同時に底を水平に整えます。ここで容量が決まります。
銑を裏返して、蓋が入る部分の小口を揃えるために切って行きます。
「アリ切り」と言う道具で蓋が入る部分に溝を作ります。
溝に沿うように蓋を込めます。込め易いように蓋は竹釘で継いであります。
底も同じです。
日本に今,樽屋は10軒ほどしかないんですが木工用ボンドを使わないのは菊正宗とあと2軒だけです。
この間、小西六というボンド会社の社長に会う機会があったんですが、そこの社長から樽にはボンドを使わないでくれと逆にたのまれました。別に毒性もなにもないんですけど。
「目違いかき」又は「はらむき」と言う細い銑で外側の段差を取り、綺麗にします。次に入れて行くタガの力が均一にかかるようにする意味もあります。
残りのタガを入れて行きます。
6タガと仕上げ
有馬から山陰にかけての真竹を割って、角を削ったものを巻いた物を樽に入れて行きます。
口輪の補助をする「重ね」または「かしら」と言うタガ。
一番太い「胴輪」又の名を「大中」、そして「小中」次いで「三番」という底を支える重要なタガを入れます。少し堅く締めます。三番が切れたりした時に酒が洩れない役目をしている「二番」をいれます。
底の段差を銑で削り取り化粧します。中側も内銑で整えます。
尻輪,止め輪,又は泣き輪と言う最後のタガを作ります。
四回巻きます。本当は全部のタガを巻きたかったのですが長くて危険なので、一番短い泣き輪だけを実際に巻きます。
泣き輪だけは力任せに叩けず,削るのも難しく、職人泣かせなので「泣き輪」と言うそうです。
全部で7本のタガが入りました。中国では「七」が一番縁起が良い数字だそうで、13世紀、宋の時代に樽の技術が到来した時から7本だったと言います。
ひっくり返し。酒の注ぎ口に「天星」を入れると仕上がりです。
あとは無駄なタガの先を切り、少し水を容れたところへ空気を送り洩れの検査をします。
蓋が丸くて昔の手鏡の様なので蓋の事を「カガミ」とも呼びます。
これを開くので鏡開きと言う訳です。
昔はこの四斗樽を一日に20個つくる事が出来なけれれば樽職人とは呼べませんでしたし、
そういう職人を四人以上かかえていて、注文があれば一日に四斗樽80〜100丁を蔵元に納めなる能力がなければ樽屋とは言えませんでした。
33石(約6000リットル)の大桶で出来上がった酒を一気に樽に詰め替える必要があった訳です。
「菊正宗での酒樽作り」担当した解説を再録
1、杉について
四斗と言うのは約72リットル、この中に一升瓶で40本分入ります。
昔は酒樽と言いますと、この四斗樽だけでした。
木は殆ど奈良県吉野郡の川上村の物を使います。
ここに持って来た物が吉野杉の100年ものです。細く見えますが年輪はしっかり100本以上あります。
吉野の杉は苗を1メートル四方に一本、他の地方では3メートル四方に一本植えますから百年後にはこの三倍くらいの太さに育ちます。
吉野杉だけは「いじめ」が許されていまして、吉野では密に植えて根元に陽が当たらないようにします。
そうすると生えて来た枝は自然に枯れて下に落ちていきます。若い間は枝打ちしなくていいんですね。
いじめていじめて育てますから、木目が細かくなり、1センチに8本。
陽を求めて天へ天へと伸びて行きますから根元と木の先の直径が殆ど変わらない様なまっすぐな木が出来る訳です。
4mの原木で元と末に3センチの誤差しか出ない程です。
30年程経ちますと間伐もはじめますから1ヘクタールに1万本植えた杉のうち樽に使える木はその4分の1程の2000〜2500本です。
(東京ドームに4万5千本植えて、そのうちの一万本が樽になる計算)
おまけに川上村と言うところは日本でも有数の雨の多い地域で、山奥ですから適度に気温も低くて、年中「もや」がかかっている特殊な地域で杉の色が綺麗で、
酒との相性が良くて、液体を漏らさない特性があり、節がありません。節があると、そこから酒が洩れます。
何より香りが良いので酒を容れると味が最高です。
秋田杉は寒い地域ですし木目も密ですが、色が悪くてアクが強く酒がまずくなり、樽材として致命的なのは、滲み易い点です。
九州の杉は暖かいので木目は荒いのですが色はピンク色をしていて、綺麗で滲まないし値段は安いと良い事ずくめなんですが,
残念ながら香りが全くないノで樽酒には不向きです。木曽や北山杉は香りが酒には向いていなくて樽酒にすると呑めた物じゃありません。
四斗樽を作るには杉の丸太を一尺八寸に切ります。楽器の尺八と同じ長さですね.約54センチ強です。
これを丸みの付いた斧の様な物で,木目にそって割る訳です。決して鋸は使いません。木目が切れるからです.木目が切れるとそこから酒が漏れるのです。
この外側が白くて内側が赤い部分を甲付(こうつき)と呼び、一本の木から一カ所しか取れないマグロの「大トロ」のような部位です。江戸時代は酒樽と言えば甲付樽だけでした。
赤味は醤油や油,酢などを運ぶのに使われました。
2、樽廻船
桶と違って樽と言う物は完全に輸送容器なんです。
明治の中頃に一升瓶が登場するまで全ての酒は杉の樽に詰められて、ここ魚崎の浜や御影の浜から樽廻船に積まれて江戸へ下って行きました。
その間、約一週間 丁度いい具合に木の香りが付いて江戸では「下り酒」と呼ばれて珍重されました。
左手に富士山を眺めながら下るので「富士見酒」とも言いました。
江戸近郊の酒は下って来ないので「下らない」と二級品扱いです。
上方のお金持ちは、この「下り酒」をもう一度船に積ませて二度富士山を見た酒を飲んで粋がっておりました。
見学された方もおられるでしょうが、こちらで樽が沢山並んでいる樽酒貯蔵場は「貳度富士酒」という高級酒を作っている場所と言える訳で、動かない樽廻船であります。
このあとで実演があります「菰まき」の菰と言う物は、この樽廻船で運ぶ際に船が揺れますから樽と樽がぶつかって傷つかないようにしたプロテクターだったのです。
各蔵元がよその酒樽と区別し易いように年々競って派手になって来たようですけれど、
菰屋さんには悪いんですが樽屋としましては、折角丁寧に作った樽をコモで隠してしまう事は残念に思います。
出来るだけコモを巻かず裸のままの樽(たる)で酒を呑んで欲しいものです。
不思議な食べ物であります。「カオニャオマムアン」といいます。
完熟前のナムドックマイ種なるタイのマンゴーをカットし、
餅米にココナッツミルクをかけたものを添えるという奇妙なデザートです。
カオニャオとは餅米の意味。日本の「しがらき餅」のようなものでしょうか。
甘いマンゴーに甘い餅米の組み合わせはタイならでは。
マムアン(マンゴー)の旬は四月らしいのですが、日本で食べる燻蒸されたマンゴーと
現地のそれとは別物です。さすがフルーツの国です。
日本人にとって餅米との組み合わせには最初は違和感があるものの、食べるうちに虜に。
タイでは、まことにポピュラーなデザートで
日本のタイ料理店でも最近では普通に出て来るようになりました。
三枚目の小さい写真はバンコクの千疋屋と言われているメー・ワリーMae Vareeのテイクアウト・マンゴーデザート「カオニャオマムアン」
最近では酒樽の正面に紙のラベルやシールを貼る事が一般的ですが、
少し前までは何枚かの型紙を組み合わせて「腹書き」と呼ぶ方法をとりました。
そのためには酒樽(さかだる)の正面には段差があってはならず、
細心の注意をはらって「目違いかき」という細い刃物で樽を仕上げたものです。
今でも、いくつかの蔵元では この面倒な手法をとって裸樽(たる)に趣きを添えてくれています。
一度、酒樽(さかだる)として使った樽(たる)を称して「いちあきだる」又は単に「あきだる」といいます。
二回目は「にあき」とも言いました。さすがに「さんあき」はありません。
何十年と「空樽」と漢字で書くものと思い込んでおりましたら、
字面が悪いのか江戸時代から明治期には「明樽」と書いていたようです。
両方の書き方があったらしく、ともかく江戸に数十軒あった「明樽問屋」は
「あきだる」を二番手の蔵元や醤油屋へ売っていた由。
『江戸買物獨案内』文政七年(1824年)刊より
完璧に作った筈の酒樽(さかだる)も、中には酒を容れると洩れるという事態が発生します。
酒樽(さかだる)から酒が洩れる事を「さす」と言います。
この洩れを止める事を「さし止め」と呼びます。
殆どの「さし」は「むしくい」という槙の木で出来た木片を突き刺せば止まるのです。
昔は酒造会社から「さし」という電話があると「さし止め職人」が自転車で走っていったものです。
昔は悪い職人もいて、あらかじめ分かりにくい場所に錐で小さな穴を樽にあけておき、
「さし」の電話があると、喜んで飛んで行きます。
洩れの原因は自身が一番良く知っている訳ですから直ぐに止めたあと、
なじみの酒屋さんと美味しい原酒を呑みながら一時間ほど無駄話をして、
「ああ大変だった」と言って工場(こうば)に帰って来る訳です。
彼の自転車の籠には、しっかり御土産の一升瓶も隠されていました。
京都店開催の初日10月3日に京都新聞の記者の方が取材に来られ、翌4日の朝刊に掲載されました。相変わらず、お客さんが少ない京都店ですが、お陰で地元の方以外にも滞在中のホテルで新聞を読まれた方など三々五々。定着にはまだまだのようです。
なお、11月は7日(金曜日)と8日(土曜日)開店予定です。
12月は酒だる繁忙期のため、11月が本年最終になりそうです。
樽(たる)を分解する作業をしていたら、火野正平らしき自転車の一隊がやって来て
興味深そうに樽(たる)を見ていたので、少し説明しているシーンがNHKのBSプレミアム上で
放映されました。日本縦断こころ旅という番組です。
彼はTommasiniというクロモリの白いロードレーサーに乗っていたので自転車の方に興味がありました。
こころ旅 こぼれ話ブログに少し写真も。
この週末に「総集編」を再放送するそうです。
たるや竹十京都店、9月の催しが出来なかったので
10月3日(金曜日)と4日(土曜日)に午後1時から6時まで開催します。
左京区田中里ノ前町49の2
電話 090−5012−3755
雑誌「住むsumu」の51号に「お知らせ」を掲載させて頂いております。
全く樽(たる)を触った事もない女性から自分で樽(たる)を作ってみたいという依頼。
現在、「たるや竹十」では京都店準備のためもあり、見学もお断りしている状態なので、
何度も御断りしたのですが、紹介者の立場もあって無理を承知で引き受けざるを得ず、
本日、遠方より来訪。
早く帰る必要があって所要時間は約3時間!!!一斗の植木樽を一丁作ることに。
先日から紹介している側拵え(銑掛けと正直押し)に半分くらいの時間を要す。
「側立て」という一番技術を要する箇所は私が一度組み立ててから分解、
再度組立てるという方法を取るけれど、ここで時間オーヴァー。
残りの作業は「見学」という事で職人と私とで一気に仕上げる。
タガを一本巻いてみるが、やはりそう簡単にはいかず、手を貸すはめに。
ただ、自分の作業の後片付けはどんな仕事でも基本でしょう。
なにしろ、他の人に物を教える事は自分でする十倍以上のエネルギーが必要。
今回の経験を元に蔵開き等での「樽つくり実演」では次回から刃物を多用。
竹もあらかじめ巻いておくよりその場で調整しながらダイナミックに巻く事を提案しよう。
この新年の催しです。樽が忙しくてUPしそこねていた事項を遅ればせながら、
紹介してまいります。
灘五郷,菊正宗酒造主催の「蔵開き」の中で「酒だる作り」がありました。
実演したのは同社の若い職人で、私はマイクを持って樽(たる)の解説をさせて頂きました。
そんな訳で開演前の画像しかありません。
昨年に続いて二回目なのですが、やはり慣れない事をすると緊張します。
かつて酒は全て「樽酒」であった事、すなわち「瓶詰め樽酒」は江戸時代の味だという事、
材料は奈良県吉野郡川上村から筏と船で運んだ事、竹はかつて京から今は有馬方面の物を使う事、
底と蓋(フタ)は竹釘で継ぎ接着剤を使わない事、樽になった時の七本の竹𥶡(タガ)の名称などなど。
来年は刃物の付いた道具も多用して、あらかじめ竹を巻かず、
もう少し詳しく興味を持ってもらえるような説明をしたいと考えております。
水無月(みなづき)であります。
京都では6月30日に「水無月」をいただきます。
一年の丁度折り返し点にあたるこの日に、前半年の罪や穢れを祓い、
後半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われます。
この「夏越祓」に用いられるのが、水無月の和菓子の代表ともいうべき「水無月」です。
「水無月」は白の外郎生地に小豆をのせた三角形の和菓子ですが、
それぞれに意味があります。「水無月」の上部にある小豆は悪魔払いの意味、
三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。
旧暦六月一日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、
室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。
この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、
氷を口にして暑気を払いました。
そのような贅沢が許されない庶民は代わりに和菓子「水無月」を食した訳です。
因みに梅雨の時期に「水無月」はおかしいと思われるでしょうが、
「無」は単に「な」を意味する漢字で、水の月を表しています。
「氷室」とは冬の氷を夏まで保存しておく所のことで、
地下など涼しい場所を利用して作られた、昔の冷蔵庫です。
京都では北山に「氷室」という名の場所が今でもあり、その跡が残っています。
かつて、この北山の氷室から宮中に氷が献上されたと『延喜式』に記され、
宮中では氷室の氷の解け具合により、その年の豊凶を占いました。
10年以上もお世話になった「たるや竹十」のHPが一新されました。
少し見易くなったかと思います。
前のHPは、パソコンが得意なR嬢と連日頭を悩ませ手探りで作ったものでした。
R嬢も我々も本業を終えてから作業となり、深夜の打ち合わせなどをよくしたものです。
そのような試行錯誤の連続も今は懐かしくもあり、前のHPにも愛着があります。
けれども、Blogも含め充分に役目を果たしたと思っています。
前のHPが余りに古くさいので、樽のお客様にまで作り直しましょうかといっていただいたこともありました。
そのお客様は漬物樽を買って下さった方だったり、ディスプレイ樽を注文して下さった方などで、いずれもデザイン関係の会社の方々でした。ありがたいことですね。
ITの世界のスピードには樽屋はなかなか追いつきませんが、今後も新しいHPを進化させていきたいと思っております。
今回はプロのWEBデザイナーS君に全面的に御願いしました。
御菓子司 鍵善良房(かぎぜんよしふさ)さんの甘露竹。
竹の筒の中に水羊羹が入っている涼しげな御菓子です。
容器の竹なら幾らでも用意出来ますが、樽屋で羊羹を作る事は出来ません。
これまた、到来物であります。
京都市東山区祇園北側264番地
075−561−1818
9:00〜6:00 月曜日定休
たるや竹十に持ち込まれた、修理待ちの「たる太鼓」です。
皆さん、工夫して様々な応急処置を施されておりますが、
最終的には樽屋に持ち込まねば完全な修理は不可能です。
写真の樽(たる)は音が出なくなった蓋(ふた)の上にベニヤ板を貼っておられました。
子供達の名前が残っていたりしてかわいいものです。
採算が合わないのですが、小学校や幼稚園からくる樽太鼓の修理は積極的に引き受けております。
遠慮なく相談をどうぞ。
くれぐれも接着剤や金釘を使って自己流の修理もどきだけはしないで下さい。
早いうちに「たるや竹十」へ持ち込んで下されば何とかしてみますから御安心を。
全く意味がありません。
フタの木がささくれ立って来て危険な状態になったら、フタの取り替えです。
右の樽(たる)が修理完了品です。新品と区別が付かなくなります。
今日は朝からFIFAワールドカップの日本対ギリシャの放送があり、
「樽(たる)」どころではないでしょうが、
樽にまつわる話ひとつ。
蕪村の有名な書簡に下の様なものがあります。
又美酒一樽、御をくり被下、かたじけなく、
ちょこちょこ御めぐみ被下候様二と、
巳来たのしミ申事二御坐候。
樽此たび御返却いたし申候。
御受取可被下候。
紫狐庵こと伊丹の酒造家山本東瓦(本名,木綿屋庄左衛門)に宛てた消息。
本来、一方通行である樽を返すと言う事は大きな一斗樽等ではなく
小振りな「通い樽」であった可能性が高いようです。
すなわち、厳密には樽ではなく桶であった訳です。
ことほどさように当時は樽と桶の区別がやや曖昧だったと思われます。
滴りの一桶を待清水哉
フォルツァ ニッポン!!
昭和3年、江戸明治の古くさい物を駆逐しつつ、
欧米のモダンな文化を積極的に導入しようと模索していた、
たいそう楽しくて不思議な時期であります。
雑誌『化學知識』四月特輯「人造品發展號」より
理研酒試作工場の風景であります。当時最新の設備の筈ですが、
(今、注目されている「理研」の前身かも)
容器は四斗甲付樽と陶器栓付き一升瓶。
まだまだ酒だるが主流だった時期です。
人造バター、人造香料、人造宝石などなど、今では当たり前の品々が特輯されております。
写真は現代、普通に流通している「人造清酒」製造の実験現場。
米を使わずに清酒を作る事を真剣に研究しております。
このあたりから清酒の中身がおかしくなり始めたのでしょう。
それらはともかく、見事な出来の酒だるです。
しっかり拵えた酒樽(たる)も風雨に晒され、直射日光を長い間浴びておりますと、
側が乾燥して痩せて来ます。
真っ青だった竹タガは飴色に変色していますけれど、決して緩んではいません。
(写真の樽は日差しが強過ぎたのか飴色ではなく、色が抜けて白っぽくなっています)
側面の杉板の榑(くれ)が縮んだだけです。
「タガが緩んだ」という謂いがありますが、そう簡単に𥶡(タガ)は弛むものではありません。
そして、こういう状態の樽(たる)を称して「はしゃいでいる」と言います。
側が一枚一枚勝手な方向に縮んで跳ね回って、まるで子供達が騒々しく遊ぶ様を
「はしゃぐ」と言うのです。
最後には、こんな風にバラバラになってしまいます。
すなわち、どこにも木工用接着剤を使用していないという証拠です。
先日紹介したネットラジヲが思いのほか評判なので、他のサイトも列記しておきます。
皆さん、お好みは分かれるでしょうけれど。
ジャズピアノだけとかクラシックだけと言うのならAccu Radioとか、
KSBR88.5FMあたりが秀逸です。日本のものですとJJazz.Radioなどなど。
まだまだあるでしょうが、今夜はこの辺で。
たるや竹十「京都店」いよいよ開店
木造家屋に木製品はよほど居心地がよいのでしょう、
中島棕隠の二行書の前で毛氈を敷いてもらい、なかなか快適そうです。
殆ど通知していなかったので、知人が遊びにやって来てくれただけで
樽(たる)が売れることもなく、開店の練習蒹京都店御披露目みたいなものでした。
買って下さった樽(たる)を御持ち帰りして頂く梱包資材も忘れていて、
盛況だったら大混乱になるところでした。
来月は本格的に準備して、しっかり楽しんで頂きたいと思っております。
7月11日(金)〜12日(土)午後1時から6時まで。
やはり、漬物樽(つけものだる)などを中心に展示する予定です。
丁度、京都市美術館で「バルテュス展」も開催中です。
おついでに立ち寄れ下されば幸甚です。
雨が降らなければ良いのですがと心配しております。
明後日6月15日昼から午後五時まで一日限定でたるや竹十の京都店が開店します。
主に小型の漬物樽(つけものだる)や味噌樽(みそだる)などを展示即売します。
京都市左京区田中里ノ前町49の2
洋菓子のリモールさんの東隣です
連絡先090−5012−3755
鉋(かんな)を埋め込んだ正直台という道具を利用して、榑(くれ)の側面を整えます。
鉋(かんな)の刃は当然毎日研いで切れを良くしておきます。
側面は少し真ん中が膨らんだ形状に仕上げ、出来上がった樽(たる)に丸みを帯びさせます。
少しの材料で容積を多く取り、洩れが出にくくなる上、転がし易くなるという利点があります。
洋樽はこのカーブが更に極端なので出来上がりも真ん中がでっぷりした形になる訳です。
正直(しょうじき)とは樽丸の一枚、榑(くれ)と呼ぶ板の側面を称します。
正直が巧く仕上がると必然的に良い樽が出来上がるのです。
多分、そんな理由でこの部分も正直、道具も正直、作業も正直押しと呼びます。
昔は正直台に外銑(そとせん)を填めて正直押しをしておりましたが危険なので、
昭和40年位から徐々に台付き鉋(かんな)を嵌め込むようになりました。
非常に重要な工程ですが、腰を痛めるほど辛い作業です。
逆目がでると、その部分を「目たたき」という金物で傷を付け
そこに酒粕を熟成させた物に苦汁(にがり)を混ぜた「ミソ」を塗り、
そこへ和紙を貼って洩れを止めます。「ミソ」は樽屋の秘蔵の宝と言われた程です。
テレヴィジョン受像機を持っていない酒だる屋の夜はもっぱらインターネットラジヲです。
最近のお気に入りはバルセロナジャズラジヲかソウルやブルースもかかるJazzFM
あるいはSmoothJAZZなどなどですが。
勿論どこもファミマ同様二十四時間営業で便利です。
ジャズを聴きながらの樽(たる)作りはちょっと無理です。
どうやら先達同様演歌の方がリズムがあうようですね。
若い職人達はもっぱらJポップを聴きながらが多いですね。
これも私には付いて行けません。
他にも良いサイトが沢山あるのでしょうが、あまり詳しくないので。
今年も早や芒種であります。椿の種はいつ蒔くのか知りませんが、椿油の話です。
酒だると椿油は何の関係もないように思えますが、
実は樽(たる)を拵える工程上で必需品なのです。
樽(たる)に限らず鉋(かんな)など木工用の道具は主に樫や桜などの固い材料で出来ています。
道具を長持ちさせるためと加工時にすべりを良くする目的で道具に油を染み込ませます。
酒だる製作の際に石油系の機械油を使う訳にはいきません。
樽屋竹十では兄弟子の先達が食用油なら問題ないだろうと「サラダ油」を流用しておりました。
この油は粘ついて埃も付くし、決して滑りが良くなる訳でもなく、余り良くないのです。
どこかで先達が「食用」なら問題ないだろうと勘違いしたのでしょう。どこの家庭にもありますし。安価です。サラダ油でダメならテンプラ油はもっと向いていないし、オリーブオイル、菜種油と探しても何が良いのか判断出来ず困り果てて、ホームセンターやネットに押されて、最近とみに減って来た「町の金物屋さん」明治創業の「赤松金物」に相談に行ったら、「木工用の油は昔から椿油だよ」と迷わず出して来てくれました。
DIYの大型店も便利ですが店員に知識がありませんし、我々が必要とする特殊な商品は置いていません。どの分野でも町に一軒は専門店が必要です。
その問題は別の機会にして、今日から道具に椿油を塗り快適に作業しています。
椿油は本来、女性用の整髪料として有名ですが、思っていた程の匂いはないし、
木工道具用としても最適でした。私が知らなかっただけの様です。
神戸新聞の経済欄5月28日朝刊に取り上げていただきました。
「ひょうご経済」という地域経済欄の中で連載されている、
「ひょうごのロングセラー」というシリーズの169号です。
なるほど、200年も「酒だる」を作ってまいりますと一体いくつ作ったのか
気が遠くなります。
記事は慣れない「経済欄」なので記者の方との遣り取りも少々ちぐはぐ。
それにも拘らず、いい記事にしていただきました。
本当はもう少し早い時期に掲載される予定でしたが、「酒だる屋」が忙しくて、
取材を受けられなく、仕方なく順延したものです。
このシリーズ「ひょうごのロングセラー」は、既に同社出版部から115店までを掲載した単行本が出ているので
「酒だる屋」も続編が出るときには載せてもらえるかな。
tel:078-861-8717