ごあいさつ

神戸・灘五郷にある小店竹十は、文政二年(1819年)、大桶製造業として当地で創業いたしました。 幕末に入り樽材料問屋及び酒樽製造業を営み、現在に至っております。
江戸中期より伝承の技で変わることなく、手づくりいたしております。 山から届く杉が香る仕事場で『見世(みせ)』と呼び慣わされる斜面の台座に職人が座って木の板を樽に組み上げます。組んだ吉野杉の胴に、真竹の箍(タガ)を締めるのですが、長さ約8mの竹を輪にする工程は見ものです。全身を使って竹をしならせ、空中をビュンビュン舞う様は前衛舞踏のよう。
(当時と変わらぬ手づくりながら、竹のタガを嵌め込む工程の一部のみ、強度を増すために機械を使わせていただいています)製樽の工程は約15。分業はなく、ひとりの職人が「組み」から、ささらで竹の箍(タガ)を磨き仕上げるまでの全工程を行います。
杉の美しい木目に、日本の真竹がきりりと締まるーーこうして、水(酒)も漏らさぬ樽が出来上がります。がっしりとしたダイナミックなつくり、清々しく潔い樽。これがたるや竹十の造る『山香る樽』です。
「吉野杉」紀伊半島の中心部で産すものを指しますが、たるや竹十では吉野杉のなかでも最良といわれる川上村のものを使用しています。
奈良県吉野郡川上村は、「植林の村・杉の村」として380年の歴史を有しています。これは人工としては日本で最古。川上村の吉野杉は、桂離宮や大阪城の建造にも使われました。
この由緒正しい吉野杉は、江戸期より、灘や伊丹、伏見の酒蔵で醸造用桶や運搬用樽にも使われるようになりました。灘の酒が江戸はもとより全国に名を馳せ、一流ブランドと成り得たのは、吉野杉と酒とのマリアージュ、つまり幸福な結婚でした。灘五郷の酒は運搬用の樽に詰められ、樽廻船で江戸に運ばれます。灘の浜を出た酒は波に揺られて樽の中で吉野杉の木香を移し、江戸に着く頃には、ひときわ芳醇な美酒になっていたという訳です。
このように日本酒に貢献してきた吉野杉ですが、苗木から成長し、伐採を経て樽の材料になるまでには、気の遠くなるような時間を待たなければなりません。その間、およそ100年から200年。杉の山には歳月がスローに流れています。 現在、たるや竹十で使用している吉野杉は明治から大正にかけて植林されたものです。